自由を求めて

自分の信じる現実を生き抜くということ

自由であるというのは、
自分の信じる現実を生き抜くということ。


その為には、刷り込まれた「常識」に打ち勝つ必要があるのです。
多くのことを、両親を始め、社会に信じ込まされて、我々は成長します。


まず、それらの常識とは、社会で偶然または、恣意的に形成されたコンセンサスにすぎない。
つまりその「常識」又はコンセンサス自体は「現実」そのものではなく、
それぞれの社会の構成員が「信じ込まされた」現実なのであるということを理解する必要があります。


そして、あらゆる側面から、それらの「常識」と対面し、打ち勝つ過程をへて、
人は、自分が何をどう思いたいか、何を現実として信じたいのかということを、
自分の美学にあわせて、選択し、自らの信念として確立するということができます。


今言う、打ち勝つ過程というのが、ニーチェの言う、
「獅子」の段階であり、
信念を確立した段階を、超人と名付けることを、ニーチェは許してくれるでしょう。


その人間は、真に「自由」な筈なのです。
私は、それを目指しております。

2 Comments

ツバサ says...""
育っていく過程で色々な「常識」や「普通」を信じ込まされていくんですよね。
それが間違っていても、それが正しいと教えられたり……。
自分で何がしたいのか、どれがいいと思うのかと考えて、
自分なりの答えを見つけて「常識」に勝つって大事ですもんね~。
2014.11.19 21:05 | URL | #- [edit]
zero hasegawa says...""
ツバサさん、

間違っていても、それが正しい。まさしくそうですね。
いや、むしろ間違っていようが、いまいが、つまり事実がどうであれ、
コンセンサスを作ってしまったら、それが正しいということになってしまうということなのです。

だから、ここで私が言っているのは、むしろ「正しい現実」の存在すらあやしく、
あるのは、コンセンサスだけであるということなのです。

だからこそ、本当は人間には自由があると。w
いいですねー!楽しいです。
2014.11.19 22:17 | URL | #- [edit]

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